History

Japan Mobility Show

  • 2024
    10.15 - 10.18 幕張メッセ

    未来を創る仲間づくりの場

    「未来を創る、仲間づくりの場」としてモビリティ関連企業と次世代を担うスタートアップ企業による、共創を生み出すためのビジネスイベントとして幕張メッセで全来場者を事前登録制(無料)にて開催。日本を代表するデジタルイノベーションの総合展「CEATEC」と併催した。 豊かで夢のあるモビリティ社会をつくりたいという想いに共感した、スタートアップ企業145社、事業会社や日本自動車部品工業会会員、自工会会員の58社が参加しました。「未来モビリティ会議」では、モビリティ社会の解決すべき課題と事業共創の可能性やあり方を発信するとともに、自工会会員メーカーによる合同展示でCO2削減のための様々な技術(マルチパスウェイ)を採用した乗用車および商用車、二輪車の展示を行った。

    Japan Mobility Show 2024
  • 2023
    10.28 - 11.5 東京ビックサイト

    乗りたい未来を、探しに行こう!

    「東京モーターショー」から、名称・コンセプトを一新し「Japan Mobility Show」として第1回目を開催。自動車業界の枠を超え、他産業やスタートアップ企業と一緒に未来のモビリティ社会創造に向けた1歩を踏み出した。「次世代モビリティ部門」を新設したことで、他業種・他業界からの初出展が多くみられた。モビリティが実現する、明るく楽しくワクワクする未来を感じることができる体験型ツアープログラム「Tokyo Future Tour」やスタートアップ企業と手を取り、モビリティ産業を拡張・加速させる場の「Startup Future Factory」など、新しい仲間と一緒に作る企画を実施。 モビリティの未来を創ろうという想いに共感いただき、過去最高の 475 社・団体の参加し、来場者数も111万人超となった。

    Japan Mobility Show 2023

Japan Mobility Show

  • 2019
    10.24 - 11.4 東京ビックサイト

    OPEN FUTURE

    翌年に控える東京オリンピック・パラリンピックの影響で会場の使用に制限がかかる中、初の分散開催となり、東京ビッグサイトの他、青海にも会場を設置して開催。「OPEN FUTURE」をテーマに、クルマ・バイク業界だけでなく他業種とも連携して多くのプログラムを実施。OPEN ROAD、FUTURE EXPO、DRIVE PARKといった無料エリアを設定。 人気の子ども向け職業体験型施設「キッザニア」とコラボレーションによる子ども向け職業体験プログラムや、日本スーパーカー協会や東京オートサロンなど、話題性のある他団体主催イベントによる展示が初めて行われ、好評を博した。来場者数が130万人を超え、前回を大きく上回る結果となった。

     TOKYO MOTOR SHOW 2019
  • 2017
    10.27 - 11.5 東京ビックサイト

    世界を、ここから動かそう。
    BEYOND THE MOTOR

    10月25日から12日間の会期で開催。 自動車業界を取り巻く環境が大きく変化しつつある中、自動車産業の枠を超えて、さまざまなアイディアやテクノロジーを取り入れ、「これまでのモビリティの価値を拡張していく」というビジョンを掲げ、大きく生まれ変わるための取り組みが始動。 新たなシンボルイベントとなる「TOKYO CONNECTED LAB 2017」を実施し、コネクティッド技術などを通じて未来のモビリティ社会を体験する機会を提供した。

     TOKYO MOTOR SHOW 2017
  • 2015
    10.29 - 11.8 東京ビックサイト

    きっと、あなたのココロが走り出す。
    Your heart will race.

    2014年に東京モーターショーが60周年を迎えたことを記念して、開幕前週に発祥の地である日比谷にて、1950年代から各年代を代表するクルマやバイクを集めた「東京モーターショー60周年記念パレード」を実施。3回目となる「SMART MOBILITY CITY 2015」では、東京オリンピック・パラリンピック開催を見据え、東京の新たな進化と、その先を展望した先進の都市システムをイメージした展示が行われた。 参加・体験型企画としてプロドライバーの運転による乗用車同乗試乗会や、二輪車試乗会、自動車ジャーナリストによるガイダンス付き小中学生特別見学などが実施されたほか、自工会の「自動運転ビジョン」を発表し、多くの注目を集めた。

     TOKYO MOTOR SHOW 2015
  • 2013
    11.22 - 12.1 東京ビックサイト

    世界にまだない未来を競え。
    Compete!And Shape a new future.

    東京ビッグサイトでの2回目の開催となった本イベントでは会期前に「お台場モーターフェス」という若者やファミリー向けにクルマ・バイクに触れて魅力を感じてもらうイベントや、「Mobilityscape Tokyo」というメディアイベントを実施。また、「CEATEC JAPAN 2013」、「第 20 回 ITS 世界会議東京 2013」の国際的イベントが同時期に開催されており、それらとも連携を図り、過去5回のショーの中で最大の来場者数(日別)を誇った。 開催中の会場では、各メーカーが新型車や市販予定車を多く出展したほか、環境車やコンセプトカーなども注目を集めた。 前回好評だったSMART MOBILITY CITYをSMART MOBILITY CITY 2013として実施した。

     TOKYO MOTOR SHOW 2013
  • 2011
    12.3 - 12.11 東京ビックサイト

    世界はクルマで変えられる。
    Mobility can change the world.

    東日本大震災の影響で開催時期が遅れて、開催場所をこれまでの幕張から東京ビッグサイトへ開催場所を変更し、新生東京モーターショーとして12月に開催された。 「技術立国・日本」の象徴として、世界一のテクノロジーモーターショーを目指し、クルマ、都市、人々の暮らしに結びつく先端技術の発信をしていく企画として、“SMART MOBILITY CITY 2011”を実施した。

     TOKYO MOTOR SHOW 2011
  • 2009
    10.24 - 11.4 幕張メッセ

    クルマを楽しむ、地球と楽しむ。
    Fun Driving for Us , Eco Driving for Earth

    2008年のリーマンショックによる世界的な経済環境の悪化のため、東京モーターショーの歴史始まって以来最も厳しい中での開催となった。会期を13日間に短縮し、大型商用車と車体部門の展示を取り止め、展示面積を縮小してコンパクトなカタチとする一方、新たにカロッツェリア部門を設定した。「日本カー・オブ・ザ・イヤー」30周年を記念した特別展示が行われるなど、新たな試みも始まった。

     TOKYO MOTOR SHOW 2009
  • 2007
    10.26 - 11.11 幕張メッセ

    「世界に、未来に、ニュースです。」注目を集めた新・総合ショー

    乗用車・商用車・二輪車・車体・部品・機械器具関連製品を含む「新・総合ショー」として、10年ぶりに開催形態を変更し開催され、ワールドプレミア(世界初の発表)77台を含む最先端の製品・技術が多数発表された。またエンターテイメント性を高めた参加・体験型の特別イベントを充実させ、多くの来場者に「クルマの夢、楽しさ、素晴らしさ」を体感いただいた。 プレス来場者数は国内、海外合わせ14,300人と東京モーターショーとして過去最高となった。テレビ、新聞、雑誌、WEBなど各種メディアで多数報道され、「新・総合ショー」として新たなスタートを切った東京モーターショーへの注目度の高さを示した。

     TOKYO MOTOR SHOW 2007
  • 2005
    10.21 - 11.6 幕張メッセ

    ”Driving Tomorrow!” from Tokyo
    みんながココロに描いてる、くるまのすべてに新提案。
    50年の節目を迎えた東京モーターショー

    1954年の第1回全日本自動車ショウから50年という節目の年に開催された第39回東京モーターショーは10月21日(金)から17日間、千葉市・幕張メッセで開催され、会期中の総入場者数は151万2,100人となった。79台のワールドプレミア(世界初の発表)をはじめ世界最先端の環境・安全技術等が集結した。また東京モーターショー50周年記念特別イベントとして、映像で東京モーターショーの50年の歴史を振り返る特別展示とともに各年代を代表する往年の名車の実車展示を実施したほか、”参加・体験型”のコンセプトに基づいた様々な特別企画を提供した。

     TOKYO MOTOR SHOW 2005
  • 2004
    11.2 - 11.7 幕張メッセ

    25万人近くの来場者を向かえ、有終の美を飾った。

    「Vehicles for people. Vehicles as partner.」をテーマに、サブタイトルを「働くくるまと福祉車両」としてコンセプトを明確化した第38回ショー。 商用車ショーは3回の開催で幕を閉じることになったが、最後は25万人近くの来場者を数えて有終の美を飾った。この成功に導いたのは、人々の生活を支える働くクルマや、社会的関心が高まっている福祉車両の最新モデルと最先端技術が展示されたことが挙げられる。 子供からビジネスユーザーまで幅広く対応した参加・体験型のイベントが多数用意されていたことも要因だろう。女性来場者の比率も約25%と上昇していた。

     TOKYO MOTOR SHOW 2004
  • 2003
    10.24 - 11.5 幕張メッセ

    参加・体験型に衣替えし、入場者数もアップした。

    「いま挑む心。Challenge & Change -希望、そして確信へ-」をテーマに、〝お客様参加・体験型ショー〟を標榜した第37回ショー。 会場の内外を問わず、さまざまな場所でイベントを多数実施し、双方向的コミュニケーションを試みた。同時に小学生以下入場無料、高校生半額も断行。 これらが功を奏してか総入場者数は142万人を越え、減少傾向に歯止めが掛かった。出品車は引き続き「環境・安全・IT技術」がキーワード。 ようやく街を走りはじめた燃料電池車は、新コンセプトに進化。

     TOKYO MOTOR SHOW 2003
  • 2002
    10.29 - 11.3 幕張メッセ

    ヴィンテージ商用車コーナーなど、多彩な企画も好評。

    商用車ショーとしては2回目、日本自動車工業会と自動車工業振興会が統合してはじめて開催した第36回ショー。働くクルマとしたことで、多彩なアイデア車が出品され、ビジネスとパーソナルを兼ねたスポーティな商用車があるなど、見方によっては乗用車ショーよりも新しい発見があるとの声も多かった。 また、1920年代から1970年代のヴィンテージ商用車を集めたコーナー、生活を支える2輪車コーナーには人垣ができ、前回の限定ミニカーで人気を集めたトミカのブースでは、ボンネットバスミニカーの組み立て工場などが好評。さらに、はたらくくるまの絵本展などもあり、子ども連れ家族でも楽しめるショーだった。

     TOKYO MOTOR SHOW 2002
  • 2001
    10.26 - 11.7 幕張メッセ

    新世紀らしく、ITを駆使した新提案車などが話題となった。

    新世紀のクルマはどう変わるか──のごとく、テーマは〝Open the door! くるま。未来を「ひ・ら・く」〟。直前に発生した米国同時多発テロでの犠牲者へ弔意を表すため、開会式などの行事を取り止める一方、来場者の手荷物検査を含め警備の強化もはかられ、例年にない開催となった。 出品車は今回も環境対応が軸だが、低公害・超低燃費を目指すコンパクトカー、ITを活用した新提案車も注目された。テーマ館では「その時−日本の技術が時代のトビラを開いた。−みえない名車を見る−」と題して、初の純国産量産車「オートモ号」などを展示。また、iモードを使った電子チケットシステムの導入や、公道での電気自動車の同乗試乗が新たに試みられた。

     TOKYO MOTOR SHOW 2001
  • 2000
    10.31 - 11.4 幕張メッセ

    総合商用車ショーとして一般ユーザーにもアピール。

    乗用車・2輪車ショーの開催から1年、アジア初の商用車ショーとなる第34回のテーマは、「個性満載。地球を走る。明日をつくる。」。 ビジネスだけでなく、一般ユーザーも楽しめる総合商用車ショーとしたのがポイントだった。とりわけ出品各社に共通しているのは「環境、ITS、福祉」。環境面では、ハイブリッド、CNG、LPG、DPF装置などがみられ、福祉面では車いすなどからの乗降に工夫を凝らした車両が多くみられた。また、普段は乗れない大型トラックなどに同乗して試乗できるコーナーも人気だった。

     TOKYO MOTOR SHOW 2000
  • 1999
    10.22 - 11.3 幕張メッセ

    初の乗用車・2輪車ショーに燃料電池車も多数登場。

    第1回からの総合ショー(乗用車・商用車)を分離し、初の乗用車・2輪車ショーとなった。テーマは「未来発走。くるまが変わる。地球が変わる。」。20世紀最後の乗用車・2輪車ショーだけに、環境・安全・ITSといった先進技術が各社から出展。なかでも燃料電池車がトヨタ、ホンダ、ダイハツ、三菱、マツダなどから登場し注目をされた。ハイブリッドカーは国産乗用車では5社から出品され、一時話題となった3リットルカーも登場した。テーマ館では「日本のくるま100年」とし、懐かしい乗用車・2輪車が並んだ。

     TOKYO MOTOR SHOW 1999
  • 1997
    10.22 - 11.3 幕張メッセ

    メーカー別展示や2階建てブースなど、新しい魅力を創出。

    「つ・な・ぐ─あなたとくるま。」をテーマに掲げた第32回ショー。今回は、北ホールが本格的に新設され、メーカー別展示という乗・商の一体展示となったことが特徴であった。テーマ館では「思い出の名画を彩ったくるまたち」を実施。凝ったディスプレイが好評だった。出品車はマイバッハやVW・W12が初披露されるなど、海外メーカーの意気込みが感じられた。一方の国産勢は市販間近のプリウスを筆頭に、ハイブリッドカーが数社から出品。ほかにも近く市販となるモデルが多く注目を集めた。

     TOKYO MOTOR SHOW 1997
  • 1995
    10.27 - 11.8 幕張メッセ

    スポーツカーやミニバン系など、参考出品車は多様化の様相。

    テーマは「感じる夢。感じるくるま。」。阪神大震災、地下鉄サリン事件と社会不安の続くなか、会期は前回に比べ2日間の短縮となったものの、閉場時間を19時まで延長し、会社帰りでも立ち寄れると好評を博した。ディスプレイの規制が緩和され、ライティングなどにも華やかさが増し、景気の後退を感じさせない華やかなブースが目立った。 テーマ館では「夢と冒険を乗せて走ったくるまたち」と題し、レースで活躍したモデルが一堂に会した。

     TOKYO MOTOR SHOW 1995
  • 1993
    10.22 - 11.5 幕張メッセ

    不況下とはいえ参考出品車が多く登場し、気を吐いた。

    東京湾レインボーブリッジが開通した、この年のテーマは「くるま、イノベーション。自由に、自然に、快適に。」。女性にやさしいモーターショーというスローガンをかかげ、乳児・幼児サービスセンター、女子トイレの増設などを行った。テーマ館「くるまはどう変化していくか」では、戦後から1975年までの52台を展示していた。

     TOKYO MOTOR SHOW 1993
  • 1991
    10.25 - 11.8 幕張メッセ

    環境や安全を意識した出品車が主流を占めてきた。

    第29回ショーは「発見、新関係。人・くるま・地球。」がテーマ。来場者数は東京モーターショー史上はじめて200万人を突破したが、15日間への期間変更や開場時間の延長により、来場者そのものの分散化が図られた。さらに北ホールの設置による会場面積の拡大もあり、展示面積を66.3%から54.1%に下げて通路を確保するなど来場者にやさしいショーを目指していた。 出品車も「環境・人にやさしい」が特徴的。水素やメタノールといった代替エネルギー車が多数登場し、課題を克服しつつあった電気自動車も注目された。

     TOKYO MOTOR SHOW 1991
  • 1989
    10.26 - 11.6 幕張メッセ

    幕張での初開催は記録づくめのショーとなった。

    平成へと年号が変わったこの年、東京モーターショーは第6回以来、30年来の開催地、晴海から千葉県・幕張メッセへと会場を移した。同施設のこけら落としイベントとなった第28回ショーのテーマは「自由走。ハートが地球を刺激する」。乗用車では韓国など、部品コーナーにはスペインやフィンランドなどからも出展があるなど、地球規模の参加数は15か国333社2政府3団体。来場者数、報道関係者数も過去最高の数字となった。

     TOKYO MOTOR SHOW 1989
  • 1987
    10.29 - 11.9 晴海

    晴海、最後のショーには海外から多数のVIPが集う。

    晴海での最後となった第27回ショーは、国内メーカーが内需拡大に本腰を入れる一方、円高を追い風に欧米メーカーが本格参入。内外276社2政府2団体が出展し、来場者数も会期12日間では過去最高を記録。海外からの来賓も豪華な顔ぶれが揃い、世界に名立たる国際ショーに成長したことを感じさせた。 一方でソフト面に傾注したコンセプトカーが数多く登場したのもこの年の特徴である。

     TOKYO MOTOR SHOW 1987
  • 1985
    10.31 - 11.11 晴海

    DOHC、4バルブ、4WD、4WS、ミッドシップなどに胸ときめく。

    1985年はガソリンエンジンの実用車が作られて100年目にあたることから、歴史の教訓を踏まえ、将来を展望する国際的なショーにふさわしいテーマとして「走る文化。くるま新世代。」がテーマに選ばれた。 こうした参考出品車が最先端の技術を駆使した習作と、市販を前提にした先行モデルにはっきり2分化されたのも特徴。一方、活況を呈した外国車ブースにはキャデラックの右ハンドル車が登場した。

     TOKYO MOTOR SHOW 1985
  • 1983
    10.28 - 11.8 晴海

    実現性、提案性に優れたコンセプトカーが注目を集める。

    世界的・長期的な不況により国内需要は伸び悩んでいたが、各社のプロトタイプ、参考出品車の出展は豊富であった。しかも搭載された新技術は実現性が高いなど、出品車は近未来に向けた提案性に満ちていた。外国車館は乗用車出品が増え、前回の50%増、参加社は28社と充実。これを反映して国産車を含めた総出品車両は945台と最多記録を更新し、来場者120万400人、外国人来場者は2万6625人という盛況ぶりだった。一方、25回を迎えた記念事業の一環としてテーマ館では「くるま、むかし、いま、あした」と銘打ち、技術の変遷、新素材や電子技術が明日の技術にどのように活用されていくのかなど、クルマの技術的可能性が分かりやすく紹介された。

     TOKYO MOTOR SHOW 1983
  • 1981
    10.30 - 11.10 晴海

    小型FF車やRV、ターボ車など、新型車で華やいだ。

    低成長期時代といわれながらも、各社が意欲的にニューモデルや参考出品車、そして新技術を意欲的に出品し、活気にあふれていた。目立ったのは小型車のFF化(前輪駆動)で、軽量化されたボディは空気力学的にも優れ、燃費効率を高めるものとなっていた。また、ターボチャージャーも急速に普及。ターボ時代の到来を強く印象づけた。一方、レジャービークル(RV)も数と種類を増し、クルマの多様化、機能による分化が一段と明確に。

     TOKYO MOTOR SHOW 1981
  • 1979
    11.1 - 11.12 晴海

    ターボやディーゼル、エレクトロニクスなどが多数登場。

    1970年代最後のショーとなる第23回は「80年代の豊かさへ−せかいを結ぶくるまたち−」というテーマのもと、次のステップに向けた積極的な姿勢が目立った。出品車両も省エネという課題を抱えるなかで新技術への意欲的な挑戦も見られ、とりわけターボエンジンとディーゼルエンジン搭載車が多数登場。また、テーマ館では「日本のエンジン技術」と題して、第2次大戦中の航空機用エンジンから科学衛星用ロケットエンジンまで、戦後から将来を展望した77台のカットモデルを含むエンジンが展示された。

     TOKYO MOTOR SHOW 1979
  • 1977
    10.28 - 11.7 晴海

    省燃費車が注目を集める一方、外国乗用車は独立館に。

    この年は排ガス規制適合を克服した国産乗用車のニューモデルラッシュに。 キーワードは低公害から省燃費に変わり、世界初の4サイクル3気筒エンジンで19㎞/Lをうたうリッターカーのディーゼル乗用車が華々しく登場した。 一方、オイルショックに起因する世界的な小型車ブームから輸出を伸ばした日本は自動車輸出世界第1位に躍進。これによる欧米との貿易摩擦発生前夜のような雲行きもあり、外国乗用車展示は独立館となった。一堂に外国車が集まり最新モデルも出品されたのでショーの国際的な雰囲気もますます高まってきた。

     TOKYO MOTOR SHOW 1977
  • 1975
    10.31 - 11.10 晴海

    全体テーマを掲げてショーの目的などをアピールした。

    隔年開催の初回として「くらしをくるまにのせて」という全体テーマを掲げ、自動車産業をとりまく環境・局面に対処する姿勢や主張を明確化した。 テーマ館では日常生活とクルマの幅広い結びつき、輸出産業としての自動車と国の経済関係を紹介。 会期は3日短縮の11日間、会場も展示場5館に縮小された結果、来場者数は第9回以来はじめて100万人を割り込んだ。

     TOKYO MOTOR SHOW 1975
  • 1973
    10.30 - 11.12 晴海

    オイルショックの余波から翌年の開催が中止に。

    記念すべき20回目を迎え、主催者は自動車の発展過程をわかりやすくディスプレイした「くるまの歩み」展を設けたほか、社会的に自動車のあり方が見直されつつある現実から「人間と自動車」の問題を考えるなどの記念行事を計画した。 京都で開催された第19回ESV国際会議で公開された試作モデルも出品されて日本の安全技術の高さをアピール。 期間中は開幕直前に勃発した第一次オイルショックが最大の関心事に。その余波からモーターショーのあり方までが問われ、翌年のショー開催中止が決定、以降は隔年開催となった。

     TOKYO MOTOR SHOW 1973
  • 1972
    10.23 - 11.5 晴海

    時代を反映させ最先端の安全・公害対策技術が集結。

    この年のショーは自動車にとって当時最大の課題であった安全対策と公害対策技術を前面に押し出し、自動車産業の姿、置かれている環境を社会にアピールする内容となった。 スカイラインのレース仕様車、サバンナRX-3といったモータースポーツ車両、いすゞとGMが共同出展した月面車などの参考出品も人目を引いていた。

     TOKYO MOTOR SHOW 1972
  • 1971
    10.29 - 11.11 晴海

    「出品物」「人」ともに国際色豊かなショーに。

    1971年4月、日本の自動車業界に関する資本取引の自由化、いわゆる資本自由化が実施されるなか、前年に続く2度目のインターナショナルショーとあって海外からの来場者が増加。多くの業界関係者も訪れて国際色豊かなショーとなった。 一方では交通安全、大気汚染、交通渋滞の深刻化といった社会問題を受け、安全・低公害への取り組みを具現化した各社の習作と共に自工振の特別企画として1970年代の自動車交通のあり方を提案するCVSモデルの実験が公開された。

     TOKYO MOTOR SHOW 1971
  • 1970
    10.30 - 11.12 晴海

    インターナショナルショーへの第一歩を踏み出す。

    1970年の東京モーターショーには、はじめて輸入車が本格的に参加。7か国33社が出品。95台の外国車が国産車と一堂に集められ、最新のスタイルと技術を一般に公開するインターナショナルショーとしてデビューすることになった。一方、国産車は高速化時代に備えたスポーティなモデル(軽自動車を含む)にとどまらず、レジャーカーやシティカー、そして安全・低公害を追求した電気自動車を含む参考出品車など多彩な出品で来場者を魅了。

     TOKYO MOTOR SHOW 1970
  • 1969
    10.24 - 11.6 晴海

    1970年代へ向けた新しいパワーが感じられた。

    1970年代を目前にしたこの年は3月に東名高速道路が開通するなど、本格的な高速化時代を迎えて国産車の高性能化が進捗。 第16回ショーはスポーツ車やモータースポーツ車両の出品が花盛りとなった。 同時に高速と安全をキーワードにした未来志向のドリームカーとコミューターについてもさまざまな習作が登場。 その一方では同年6月に発生したリコール問題にも呼応して技術的な展示に力が注がれ、各社が大きな社会問題となっている交通安全と公害防止についての積極的な取り組みをアピールしていた。

     TOKYO MOTOR SHOW 1969
  • 1968
    10.26 - 11.11 晴海

    はじめての試みとして「子供の交通安全教室」を設置。

    この年は業界再編成の動きがみられた。日産はプリンスとの合併(1966年)に続いて富士重工とも業務提携。 交通安全、公害問題も大きくなり、5号館に安全科学センターが設置され、シートベルトの実験、アイドリングの調整法などをPRした。 はじめての試みとして「子供の交通安全教室」も設けられた。

     TOKYO MOTOR SHOW 1968
  • 1967
    10.26 - 11.8 晴海

    交通安全を積極的にPRするなど社会的役割も担う。

    第14回ショーは社会問題となっていた交通安全に対するPRを積極的に行う場となった。8号館(乗用車)の2階に「交通安全コーナー」が設けられ、各種のテストコーナーができた。2輪車館ではヘルメットの大切さをPRした。 小型車で注目されたのは日産・ブルーバード510型。三角窓を無くしたデザイン、4輪独立懸架のサスペンションなどは、のちにアメリカでも人気となった。

     TOKYO MOTOR SHOW 1967
  • 1966
    10.26 - 11.8 晴海

    サニーとカローラが顔をそろえ、マイカーブームに。

    第13回ショーの1966年は、のちに「マイカー元年」と呼ばれるようになる。日本の本格的なモータリゼーションの起爆剤となった、日産・サニーとトヨタ・カローラがこのショーで顔を合わせた。加えて各社の800〜1000cc車が勢ぞろいして大衆乗用車時代の幕明けとなったからである。この大衆車の下支えとなった軽乗用車にもリバイバル人気が芽生えた。 特筆すべきもうひとつは、ニッサン・プリンス・ロイヤルと呼ばれる国産乗用車の御料車(皇室専用のリムジン)が展示されたこと。巨大なボディとエンジンに観衆は圧倒された。

     TOKYO MOTOR SHOW 1966
  • 1965
    10.29 - 11.11 晴海

    完成車の輸入自由化に対抗すべく、多数の新型車が登場。

    高度経済成長が何となく感じられてきたころの開催であった第12回ショーは、10月1日から乗用車の完成車輸入が自由化された直後のショーでもあった。そのためか派手さより販売拡張への足がかりとすることへの努力が払われていたともみえる。小型車では日本初のファストバックのコルト800、ホンダのS800/N800、スバル1000、ファミリアクーペ(1000)など800〜1000cc級に新型車がみられた。マイカーは時代にあわせて、タクシーには使われない純粋のファミリーカーとして注目されたものである。

     TOKYO MOTOR SHOW 1965
  • 1964
    9.26 - 10.9 晴海

    「東京モーターショー」に改め、海外メーカーも出展。

    翌年4月に予定されていた乗用車の輸入自由化を目前に、海外メーカー3社が出展することになった。 これを機に「全日本自動車ショー」を「東京モーターショー」に改め、同時に報道関係者の取材協力のための「プレスルーム」を開設するなど国際ショーへの本格的な一歩を踏み出した。国産乗用車といえば4ドアセダンが多かったが、このショーではGT、クーペなどを名のる車種が多く展示された。

     TOKYO MOTOR SHOW 1964

全日本自動車ショウ

  • 1963
    10.26 - 11.10 晴海

    乗用車館が2つになりショーの雰囲気も変化。

    「自由化に備え、新車ずらり……」と新聞に紹介された第10回ショー。 特徴は乗用車館を2つにして乗用車中心のモーターショーへ大きく前進したことであろう。会場南側に試乗会場を設け、各社の新型乗用車の試乗会も行った。これは観客に大きな人気を得た。 〝動くショー〟への挑戦がみられたといえる。このショーでは海外カーデザイナーによるデザインのクルマが多く展示された。また、開発に苦労しているといわれた東洋工業のロータリーエンジンが初お目見え。それが前衛的なスポーツカーに搭載されていたのも印象的だった。

    Japan Mobility Show 1963
  • 1962
    10.25 - 11.7 晴海

    来場者がはじめて100万人を超え、会場周辺も大混雑。

    今回も参考出品で多くの試作車などが展示されたが、ハイライトは2輪の世界グランプリなどで名をあげていたホンダがはじめて4輪車に進出したことであった。ホンダ・スポーツ360と500がベールを脱いだ。このニュースが人気を高めたのだろうか、多くの来場者がつめかけ、はじめて100万人を超えた。 また、初の試みとして、屋外展示場に自動車機械工具工業会が中心となって各種装備を施したテクニカルセンターを開設し、にぎわっていた。

    All Japan Auto Show 1962
  • 1961
    10.25 - 11.7 晴海

    3C時代が訪れ、ショーにも続々と登場。

    スポーツカーや試作車が数多く出品され、〝華やか〟であったと評された第8回ショー。会場規模も当初の2倍近くに広げ、入場口も南ゲートを新設。2日間だがナイター(20時まで)も設けた。来場者も80万人を超えた。政府は前年末に「所得倍増計画」を発表。個人消費も増えてきた。やがて「カー・カラーテレビ・クーラー」を持つのが夢とする「3C時代」が訪れる。この上昇気運に乗って花形車種が続々とショーに登場する。

    All Japan Auto Show 1961
  • 1960
    10.25 - 11.7 晴海

    手が届きそうな小型車たちが増えてきた。

    前年12月に新たに「道路交通法」が施行され、ショーの1か月前に道路運送車両法の規格の一部が改正。小型ガソリン車の排気量が1500ccから2000ccに引き上げられた。これらを受け、ショーの会場では「新道路法早わかり」の企画で来場者にPR。あわせて「新しい道路交通のあり方」の懸賞論文を募集するなどした。 展示車で注目されたのは〝万人のためのクルマ〟とうたったトヨタの大衆車パブリカ。700ccで4人乗り、38万9000円の価格。俗に1000ドルカー(当時1ドル360円)とも呼ばれた。小型車に50万円台の車種が増えたのもこのショーであった。

    All Japan Auto Show 1960
  • 1959
    10.24 - 11.4 晴海

    念願の屋内展示となり、出品車も大幅増加。

    第6回ショーは晴海の日本貿易センター(屋内展示場)で初開催となった。こちらは数棟の常設展示場と屋外展示スペースから成り、広さは日比谷の約3倍、展示小間面積も2倍。そのため入場料も抽選券付き(15回まで)50円に値上げされた。展示車両は317台と大幅に増えた。乗用車では前年も出品されたスバル360に加え、三菱500、ダットサンスポーツ211型、新型車ブルーバードなどが注目された。トヨタは日本初の自動変速機を搭載したマスターラインを展示、プリンス・スカイラインは1500ccで70psの出力を誇った。

    All Japan Auto Show 1959
  • 1958
    10.10 - 10.20 後楽園

    クルマへの関心が高まり自動車相談所も盛況。

    この年、日比谷公園が工事中のため、一時的に会場を後楽園競輪場インフィールドに移し、10月10日から開催した。以後自動車ショーは秋の恒例行事となり、主催者も自動車工業振興会となった。会場内には「めぐりあいの場」や、国産車技術の理解のために「テクニカルセンター」(自動車技術会主催)が設けられた。正面入口には自動車相談所も設置。1日あたり約300人と多くの人の相談に応じた。

    All Japan Auto Show 1958
  • 1957
    5.9 - 5.19 日比谷公園

    単なる宣伝の場から、少しずつ変化の兆し。

    第4回ショーも日比谷公園内広場を会場として5月9日から11日間の会期で開催された。 乗用車ではトヨタが小型乗用車、初代トヨペット・コロナをデビューさせ、富士精密はプリンス・スカイライン、日産はダットサン・スポーツのプロトタイプ(試作車)を展示するなど質的向上が図られたといわれた。 一方、ショー事務局は、「PRセンター」にて道路・交通、自動車デザインを取り上げ、さらに「自動車なんでも相談室」も開設。ショーが単なる宣伝の場から、実質的な商談の場へと変貌を遂げていったときでもあった。

    All Japan Auto Show 1957
  • 1956
    4.20 - 4.29 日比谷公園

    国民車構想が発表され、車種別展示に移行した。

    第3回ショウも10日間の会期で前回と同様に開催されたが、この回からトラック、バス、ピックアップ(トラック)、乗用車、三輪車、二輪車などを車種別に展示する方式となった。 価格は25万円という要綱案。庶民にとって未だ「高嶺の花」ではあったが、「夢の乗用車」がやや身近な存在になりつつあると予感させたのであろう。ショーでの乗用車人気は大いに盛り上がりをみせた。

    All Japan Auto Show 1956
  • 1955
    5.7 - 5.18 日比谷公園

    商用車主体ながらも、新型乗用車も登場した。

    第2回ショーは12日間の会期で前回と同じ日比谷公園内広場で開催。 出品車は、この回もトラックなどの商用車が多かった。 しかしながら、トヨタは4輪小型トラックSKB型1000cc(昭和31年にトヨエースと命名)を、日産もダットサン120型トラック、富士精密が1.5t積み小型4輪トラックを展示した。 これらは走行性能、操縦安定性に優れ、小型トラックの3輪から4輪時代への幕開けをうかがわせた。

    All Japan Auto Show 1955
  • 1954
    4.20 - 4.29 日比谷公園

    当時の主役は商用車で、乗用車の出展は17台だった。

    第1回全日本自動車ショウは、総裁に高松宮殿下のご就任を得て昭和29年4月20日、東京・日比谷公園内広場で開催された。 当時、家庭の「3種の神器」は電気冷蔵庫、洗濯機、掃除機とされていた時代。クルマは庶民にとって「夢のまた夢」でしかなかった。 しかし自動車産業の伸展、国産車再興を願う関係者の意気は高かった。

    All Japan Auto Show 1954